母の入院
私にとっては、つらい思い出になりますが、
小学校3年生の時に母から弟と一人ずつ部屋に来るように
と言われた事がありました。
部屋に入ると母は、涙を浮かべながら私に
「明日から入院することになった」と告げました。
入院中に守ってほしい約束事も手紙で渡されていたのですが、
その手紙が、くしゃくしゃになるくらいぎゅっと握りしめて
「ごめんね」と何度も謝る母の横で弟と三人大泣きしたことを
今でも鮮明に覚えています。
お母さんが元気だったら・・・
叔母に連れられて毎週お見舞いに行きました。
強い薬のせいか
会うたびに副作用で母の顔が
月のように腫れあがっていって
私は別人のように変わっていく
母が怖くて
素直に近づけないという事もありました。
息子から容姿の事で怖がられる母は、さぞ辛かったことでしょう。
父も叔母も私たち兄弟を気遣っていろいろな所に連れて行って
くれましたし、面倒も見てくれていましたので生活する中での
不憫さは感じませんでしたが、やはり、母のことは気になって
いました。
誕生日を祝ってもらっても、病人がいるがゆえに何となく腹の底
から喜べないもどかしさを幼いながらも感じていました。
『お母さんが元気だったらもっと楽しいのに』
この気持ちが、治療家になりたいと思った原点だったと思います。
「したいなぁ」から「したい!」へ
母が退院して家に戻ってくるのに3年ほどかかりました。
退院祝いで皆で食事をした時は、本当に楽しかったです。
朝から一緒に食事ができることも嬉しかったし、
心の底から笑えたし、家族全員に笑顔が戻った感じがしました。
その後、母は、病弱ながらも私たちを一生懸命育ててくれて
いわゆる“えぇおかん”であり続けてくれたのですが、
残念ながら
私が社会人2年目の時に他界しました。
「もっと自分の体を労わりなさい」
「お嫁さんは、健康な子を選びや」と何かにつけて健康面には
口うるさい母でした。
私も家庭を持って社会人生活を続けて行く中で、人生の岐路に
立った時にふと「健康」と言う言葉が頭をよぎりました。
「みんなが、健康であるという事は、やはり素晴らしい事やな」
「その手伝いがしたいなぁ」と思うようになりました。
「したいなぁ」が「したい!」に変わって抑えられなくなった時に
私は、治療家になろうと決意しました。
スマートリンクセラピーとの出会い
治療家になるための学校選びでは、やはり一流の治療家を目指そう
と思い、厳しく指導をしてくれる学校を必死に探しました。
いろいろと学校探しをしていく中で、「ここだ!」と直感で
感じた所がありました。
これが、私とスマートリンクセラピーとの最初の出会いでした。
実際に学校で荒田代表にお会いし、熱い思いを聞かせていただいて
「ここで是非勉強したい」と体が震えたのを覚えています。
4人教えるのが限界という狭き門ではありましたが、
幸いにも何とか入学を認めていただきました。
こうして私の治療家になる修行が始まったのです。
こんなはずでは・・・
学校は、自分の想像をはるかに超えて
ありえないくらい?
厳しかったです。
社会人としての苦労も知っているつもりでしたし、
会社でも
ポストも与えられてそれなりの自信も
持ってはいたのですが、
本当の意味で自分の甘さ、世間の厳しさを
勉強させていただいた
と思います。
退路を断っての入学は、働きながら学ぶということができません。
逃げ場がないばかりか卒業までは全くの無収入ということですし、
いつ卒業できるかも分からない状況です。
家族に支えられながら一日16時間は治療家になるための勉強を
しました。(人生の中で一番勉強したのではないでしょうか)
妻には本当に感謝しています。
ひとつの課題を修得するのに3ヶ月間取り組んでもOKが貰えず、
自暴自棄になったり、心折れそうになったことは、数えきれない
くらいありました。
でもこうやっていく中で徐々にですが、
「愛すること」「与えること」の大切さが
心の底から理解できるようになったと思います。
この世の中から何かを奪おうとばかり考えていた自分が
この世の中に何を与えられるのか?
この考えに至るまでには時間をかなり費やしました。
しかし人生と言う長いスパンで俯瞰すると
口では表せないほどの貴重な体験をさせていただいたと思っています。
心より感謝しています。
変わらぬ思いで
実際に患者さまを治療する許可をいただいてからが、更に厳しい
修業であったのですが、開院前から何千という貴重でありがたい
経験をさせていただいたことが、今の私の自信に繋がっていると
思います。
残念ながら父も他界して両親共に治療家としての
私の施術を受けてもらうことは、出来ませんでした。
家族で一緒に暮らして楽しかったことや悲しかったことなど
いろいろな想い出の詰まったこの宝塚の地で開業する
ということは、私の夢でもありました。
そして、ようやく自分の熱い思いを表現できる場を
この宝塚で持てるようになれたのも
父母に対する感謝の思いとこれまでに知りあった全て方との
ご縁があったからこそだと思います。
このご縁に感謝しこれからも大事にして参ります。
『家族のみんなが健康であること』
そして更に
『世の中のみんなが健康であること』
こうなれば、本当に素晴らしいことです。
これからも
皆が心身共に健全で笑顔で助け合い
幸せな人生が送れるように
世の中に微力ながらも貢献していく
と言う変わらぬ思いで
ここ宝塚の地で治療に励んで参ります。